院長・スタッフ紹介

スポーツリング・ジャパン SRJ-GROUP

代表取締役 近内 圭太郎(こんない けいたろう)

     ★☆当院の強み★☆

【オリンピアン院長】

「スポーツ選手を育てる上で

             乗り越えなければならない壁がある」

~怪我・故障・挫折・スランプ・メンタルなど今まで乗り越えてきた経験やノウハウを全面的にサポートします~

 

1978年8月5日生まれ
O型
獅子座
3男1女 (長男、次男、三男、長女)

2歳から水泳を初め、14歳(中学2年生)で日本代表入りし、18歳で日本一になり、オリンピック出場を果たす。22歳で現役を終えてから、31歳の時、日本で初めて競泳のオリンピアンとして柔道整復師(医療国家資格)を取得。現在、神奈川県内に2店舗の整骨院・ジムを経営。

戦歴 

 小学6年生  日本学童新記録樹立 200M背泳ぎ

 中学1年生  神奈川中学選手権 100M優勝 全国中学校選手権出場

 中学2年生  神奈川中学選手権 100M優勝  200M優勝

        全国中学校選手権 100M優勝 200M3位

                 日本短水路選手権 100M2位  東アジア大会日本代表

 中学3年生  神奈川中学選手権 100M優勝・200M優勝

       全国中学校選手権2冠 100M・200M背泳ぎ優勝 日本中学新

 高校1年~3年 インターハイ3連覇   100M・200M背泳ぎ 総合優勝

 高校3年生    1996年アトランタオリンピック競泳日本代表

 中学3年~大学1年  国民体育大会5年連続優勝 5連覇達成

                             東アジア大会優勝 100M背泳ぎ優勝

            アジア大会優勝 100M背泳ぎ優勝

            パンパシフィック選手権出場 5位入賞

           世界短水路選手権 8位 短水路日本新

            世界選手権出場 5位入賞         など

資格

医療国家資格:柔道整復師

       水泳指導管理士・プール衛生管理者・防火管理者

       JLA-CPR取得・準2級船舶

 

   <柔道整復師免許証>         <インディバ・アクティブ認定書>

 <一般社団法人神奈川県水泳連盟

      強化委員会トレーナー部会> 

 

所属歴

株式会社 スポーツリング・ジャパン 代表取締役
一般社団法人神奈川県水泳連盟強化委員会トレーナー部会部会長
一般社団法人スポーツ医科学委員会理事
学校法人 平成医療学園 横浜医療専門学校教育課程編成委員会委員
株式会社 スポーツアカデミー メディカルスイム・水中運動担当

 

職経歴

桐蔭横浜大学スポーツ健康政策学部 非常勤講師

学校法人 平成医療学園 横浜医療専門学校 トレーナーゼミ非常勤講師
日本水泳トレーナー会議 会員
株式会社 ヴェルディー アドバイザー
株式会社 TOC MM BEGIN スイムトレーナー
株式会社 アカデミー スイムトレーナー
株式会社 ハーバービュ スイムトレーナー派遣

 

トレーナー・臨時活動歴

コナミスポーツ 水泳競技部

ミズノスイムチーム

日本体育大学ライフセービング部 コンディショニングコーチ
明治大学体育会水泳部
神奈川県国体競泳トレーナー(2011~2018)
湘南工科大学付属高等学校 水泳部
東京大学医学部 水泳部 臨時コーチ
聖マリアンナ医科大学 水泳部 臨時コーチ

神奈川県競泳強化水泳合宿トレーナー
東北学院高等学校競泳トレーナー   順不同

 

イベント実績歴

スポーツフレンド『夏期短期水泳教室模範泳法』

スポーツアカデミー新城『ジュニア選手たちへのスイムテクニック』

グランデリアスポーツ麻生『初級・中級クロールレッスン』

フィットネスクラブレフコ『クロールレッスン』

beginスポーツクラブ『初めて・中級・上級レッスン』

ジャパンウーマンズ大会『泳法指導』

母校湘南工科大学付属高等学校『スイムテクニックと選手の自覚』

鎌倉市市営プール『模範泳法』

鎌倉市立第二小学校『模範泳法』

藤沢市第一中学校『模範泳法』

シリウススポーツ『オーシャンスイム“海の泳ぎ方”テクニック』

日本国際オープンウォーター協会グアム合宿『海で長く泳ぐポイント』

ヴェルディースポーツクラブおゆみ野『スイムテクニック・飛び込み教室』

神奈川スポーツフィスティバル『初めて水泳教室』  等

 

賞歴 

神奈川県スポーツ賞 95・96年受賞

天皇皇后両陛下より五輪表彰

鎌倉市スポーツ賞

第53回神奈川ゆめ国体旗手・選手宣誓

JOC杯読売新聞社最優秀選手賞  

神奈川スポーツ賞2年連続受賞   など

 

テレビ・雑誌

第50回NHK紅白歌合戦 (応援合戦)

スポーツ筋肉番付け

ド短期ツメコミ教育豪腕コーチング

神奈川テレビ・鎌倉テレビスポーツ番組

ターザンオリンピック特集

スイミングマガジン表紙

(株)ランナーズ スイム

講習会・講演

川口ロータリークラブ【講 演】『夢をかなえるためには・・・』

埼玉県小鹿野町スポーツ少年団 団員・保護者・指導者地域住民

【演 題】『夢を大切に』-努力ある者チャンスあり、チャンスある者のみ成功ある-

川崎菱沼ロータリークラブ【講 演】『オリンピックでの秘話』

鎌倉市立第一中学校【講 演】『夢を持つことの大切さ』

鎌倉水泳協会【講 演】『オリンピック秘話』

スポーツアカデミー新城【講 演】『人間の取扱説明書』

仙台市将監中学校保護者会【講 演】『スポーツ選手を持つ保護者の心得』

藤沢市父親ネットワーク【講 演】『スポーツ振興について』

世田谷FMラジオ【講 演】『うまく泳げるようになるためには・・・裏話』

信州大学【講 演】『オリンピックの思い出』

大田区体育協会競技力向上対策事業 指導者講習会

【講 演】『選手とコーチのトレーナーとして〜結果が出ない選手には原因がある』

平和学園幼稚園PTA 保護者【講 演】『子どもの運動と怪我とケアについて』

埼玉県おひさま保育園保護者会

【講 演】『幼児スポーツと怪我について〜子どもとスポーツの関係〜』

                               一部抜粋

 

 

 

プロフィール

「私 と 水泳」

 

第一の道〈水泳人生〉が始まったのは2歳のとき。
特に英才教育の家系でもなく、もちろんそのような血も引き継いではいない。その上、両親はカナヅチと呼べるくらい、泳ぐことが不得意であり、そんな環境の中で『水泳』と出会ったのは「偶然」としか言いようがない。

しかし、この『水泳』との出会いが私の人生を「面白く」また「苦しめる」ことになったのは後でご説明させていただきます。前文で書いた「苦しめる」という言葉とは少し異なるかもしれませんが、スポーツの道に進むということは、ただ単に輝いていられるというわけではなく、輝いていられる時間はほんの一瞬で、むしろそれよりも闇という辛く厳しい場所にいる時間の方が長く感じられと私は思います。

闇のイメージはなんとなく暗い所で無駄な時間が多いと思われがちですが、決してすべてがそうではなく、家族の支えや仲間の励まし、コーチの絆を強く感じさせてもらえる大切な場所であったと今だから言い切れます。

 

小学校4年生の私「オリンピックに出場したい!」

水泳人生の岐路は小学4年生のとき。1988年ソウルオリンピック男子100m背泳ぎで鈴木大地選手(現公益財団法人 日本水泳連盟会長)がデビット・バーコフ選手(米国 当時世界記録保持者)を破り、金メダルを獲得した。鈴木選手は絶対的不利な状況の中(バーコフ選手は予選で世界新記録樹立)で、表情一つ変えずに「決勝への作戦は?」と記者から訪ねられ一言「内緒」と答えたのを今でも鮮明に覚えています。その後、決勝。「内緒」と言っていた作戦が功を奏し、鈴木選手は見事世界一になったのです。その光景をテレビの前で目の当たりにした私は「僕もオリンピックに出場したい!!」と思ったのが夢を持つきっかけになりました。

 

中学・高校新記録

夢に向かうことを決意してからは、学校とスイミングとの両立。登校前には朝練習を行い、おにぎりを頬張りながら学校へ。学校が終わるとすぐにスイミングに向かい夜練習を行うという生活を毎日続けてきました。その甲斐あってか私の武器であったキック力とキャッチ力はドンドン強くなり、小学生では日本学童新記録、中学生では日本中学新記録、高校生では日本高校新記録を更新するまでに成長することができました。

 

いじめ

しかし、水泳一筋で努力をしている中、私はイジメにあいました。一つの道を極めようとすると、それ以外のことを諦めるかまたは拒否しなければなりません。水泳中心の生活になり、学校が終われば寄り道せずにプールに向かう。小学生の時期にとても大切な放課後の交流(みんなで野球をしたり、サッカーをすること)に一切参加することができず、それが原因で『イジメ』に発展した。

人はなぜ自分と違うことをしようとする人間に対して差別するのだろうかとすごく悩んだ。その経験をいかして、今では講演会で「なぜオリンピックに行けたのですか?」と聞かれると、私はきまってこう答えます。「みんなが遊んでいる時に、毎日毎日泳いでいたからです。みんなと同じことをしていたらオリンピックなどには行けませんから」と。おそらく「どんな辛い練習をしたのか」や「秘密の特訓は?」などの内容を聞きたいのだろうと思うが、あえて「人と違うことをしてきたから」を強調して話します。

 

日本選手権出場

そんな毎日を乗り越えた私は小学校6年生の時、初めて日本選手権に出場しました。憧れであった鈴木大地選手もその試合に出場されていて、予選を終えた私に鈴木選手から「僕小6なの?すごいね!!頑張れ!!」と言われ、一緒に写真を撮ってくれたことは一生忘れることはありません。そしてその試合が世代交代試合になり、鈴木選手にとって最後の日本選手権になったことは印象的でした。その8年後、私はオリンピックに出場するという夢を叶えることができました。

 

アトランタオリンピック出場後

 

トップアスリートとして階段を駆け上がってきた私の水泳人生の歯車が狂いだしたのは、1996年アトランタオリンピック出場後の翌年(1997年)からであったと思います。泳げば泳ぐほどタイムは落ちていく一方で、気がつけば大学生の私は、中学のときのタイムを切ることもできなくなっていました。

特に病気でもなく、身体はいたって健康であったため、周りからは非難の言葉も飛び交っているものわかっていました。しかし、もがけばもがくほど、負のスパイラルに落ちていく。その感覚は、ひとりぼっちで孤独で先の見えない迷路をゴールに向かってひたすら歩いているような感じだったと思います。

その時、ふと脳裏に上がったのは「死にたい...」という思いでした。

この重圧から何とか逃れるには、人生を終えるのが最善の選択であると、耳元で誰かに囁かれたような気がした。そんな状態で挑んだ2回目のオリンピック選考会。結果はもちろん落選。

しかし、私の中ではなぜか「ホッ」した気持ちになったのを今でも覚えています。暗く長い迷路を抜け出せたような気がした。スポーツ用語でかっこよく言えば「スランプ」悪く言えば「負け犬」だったのかもしれない。私は間違えなく「負け犬」の方だ。山あり谷ありの水泳人生であったが、私のそばで最後まで温かく見守ってくれた家族やコーチ、仲間の存在に感謝するだけでは言い表せない気持ちでいっぱいである。始めに書いた「苦しい」という言葉は、水泳を通じていろいろな経験や体験をさせてもらったいい意味での「苦しさ」であると解釈して欲しいです。苦しさよりも楽しいことや学ぶことがたくさんあった水泳人生だったと思います。

 

引退後

 

引退後の第2の人生もまた、苦労の連続からのスタートでありました。トップアスリートとして君臨してきた私は、周りからチヤホヤされ、自分自身がかなり天狗になっていたことは言うまでもありません。
そんな私がまったく知るはずのない世界(社会)に放り出された結果。会社の上司からは「おまえ!水泳以外何ができるんだ!」「社会常識も知らないのか!」と罵声を浴びせられる日々が続き、入社5日目で辞表を提出しました。もちろん不受理でしたけど。。。

 

選手の気持ちがわかるから。

そんな私も22歳で結婚し、4人の子どもに恵まれ、2012年5月16日に株式会社スポーツリング・ジャパンを設立し、スポーツと医療の融合施設の開設また元スポーツ選手達の第2の人生の受け皿として社会貢献を目指しています。現在私は国家医療資格の柔道整復師を取得し、現役時代から目指していたトレーナー活動で、選手達の「身体」と「心」のサポートをしています。

 

~メッセージ~

これからオリンピックを目指す選手達、何かを極めようと必死で努力をする人を世間は「変わった人」や「変人」と呼ぶかもしれない。しかし、変人が偉人に変わる瞬間が必ず来る!それを目指してください!

 

会社概要

 

株式会社スポーツリング・ジャパン
Sports Ring Japan Co., Ltd.

 

MLB
~Move the lifetime body~
生涯動かせる身体づくり

 

人間が本来兼ね備えている機能【身体を動かすこと】

しかし、一生涯健康で思うように身体を動かすことができるのは誰一人保証されてはいない。
生涯動かし続ける身体づくり(身体を動かす専門家)に特化し、予防から運動能力向上まで独自のノウハウや経験をいかし、サポートします。

 

【治療理念】

1.misson(使命)

 患者様の為に、選手たちの為に最小限の負担で最大限の成果(結果)を出せるように伝え導く

2.value(信念)

 人の痛みや苦しみを共感し、治療家が一番初めに施す治療の「手当て」=手を差し伸べる強い勇気を持つ

3.vision(目標)

 常識に捉われない熱意と根性を持ち、かつ柔軟な思考を創造し続け、自分自身の存在価値を高める

 

【企業理念】

1.人に感謝と笑顔と幸せを与え続けること。

2.見返りを求めるのではなく、素直に手助けをすること。

3.失敗を恐れることなく、何事にもチャレンジすること。

 

【SRJ信念】

私はスポーツリング・ジャパンの一員として、

目配り・気配り・心配りを徹底し、お客様が幸せになれるよう

に日々努力すると共にお互いを褒め合い成長し幸せになることを誓います。

 

【社名の経緯】

スポーツ・リングは、その名の通りスポーツを通じて様々な人が「輪」や「繋がり」が持てるようにと願い、命名致しました。

また、スポーツという垣根を越え、生涯の友人・仲間の[輪]を繋げ、人と人とが助け合うことのできる会社であり続けることも意味も込めています。

 

【起業の経緯】

この会社を起業したい想いとして、治療業界・トレーナー業界を担う若手に早くから様々なチャンスを与えて、失敗や成功を繰り返し、『努力』と『経験』を学び、生きていく【知恵】を備えて欲しいと思い、起業を決意しました。

 

【誰にでもチャンスを与える社心】

仕事のやり方やコミュニケーション技術の習得、院の経営など
1人1人が生きていく【知恵】を与えます。

○技術や知識はたくさんあるのにお客様がついてくれない。
○頭では理解し出来ているけど、仕事がうまくいかない。
○技術や知識はあるが、経験や営業のノウハウが全くない。

何でも何も始まらない。まず行動すること。

 

【恩返しの社心】

今まで生きてきた中で多くの方に迷惑をかけてきました。この会社では1人1人が恩師への恩返しを達成してもらえるようにします。

『人への恩返し』はうまくできるものではないとも言われています。そのことを胸に少しでも人への感謝、幸せを与え続けられるようにし、人からの喜びの声を我々の存在価値と業務意欲、さらには使命として、達成していきたいと思います。この会社が誰からでも信用され、必要とされる会社であり続けたいと思っています。

 

【社 章】

 

この社章は金色で染められた勝った人にしか与えられない色彩である。社員として誰よりも努力し、学び続けることを誓い、左胸に付けるものである。

 

社歴

2011年4月 代表の近内が2011年3月に、医療国家資格の柔道整復師を取得。
株式会社 スポーツアカデミー新城内に、日本初となる国家医療資格を持つ
水泳のオリンピアンとして
【MBEC「メディカルボディーエニュケーションセンター」】を開業

2012年4月 神奈川県川崎市中原区に
1号店『せせらぎ鍼灸整骨院 中原本院』を開院

2012年5月 株式会社 スポーツリング・ジャパンを設立
近内 圭太郎 代表取締役社長に就任

2012年11月 神奈川県川崎市麻生区に
2号店『せせらぎ鍼灸整骨院 柿生院』を開院

2013年4月 株式会社 ティップネス「世田谷レクセンター」スイム業務委託契約を締結

2014年3月 株式会社 オークスベストフィットネスと
「ジュニアスイミング立ち上げ」のアドバイザー及び業務契約を締結

2014年4月 株式会社 TOLCDと「水泳指導業務委託契約」を締結

2014年5月 学校法人 平成医療学園 横浜医療専門学校 
トレーナーゼミ講師派遣業務契約を締結

2014年6月 日本体育大学ライフセービング部トレーナー業務契約を締結

2014年7月 学校法人 桐光学園 水泳部トレーナー業務契約

2015年1月 神奈川県横浜市緑区に
3号店『せせらぎ鍼灸整骨院・アスレティックスポーツラボ』長津田院を開院

2015年2月 株式会社 コナミスポーツ&ライフと
トレーナー業務委託契約を締結

2015年7月 4号店 株式会社TOLCDと業務委託契約を締結し、
ボディーケアスタジオ『トランス』みなとみらい店を開業

2017年4月 せせらぎ鍼灸整骨院 中原院本院から
『近内スポーツ整骨院』に名称変更

 

多くの人に必要とされる人財を育て、
社会に必要とされる会社を目指し、
一生涯社会貢献する会社であり続ける。

 

株式会社スポーツリング・ジャパン
Sports Ring Japan Co., Ltd.

 

スタッフ紹介

 

加治佐紳吾(かじさ しんご)/鍼灸師

福岡県出身 競技 野球(キャッチャー)・ゴルフ

 

芹澤匠(せりざわ たくみ)/柔道整復師

神奈川県出身 競泳